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辻 丹甫 ―ふたつのジャンルで才能を発揮したクリエイター―

擬堆黒総盆
◆ 擬堆黒総盆(高岡市立博物館所蔵)◆

 本名は伊右衛門、砺波屋伊右衛門丹楓、また、辻今道、荒蟲とも称した。享保七年(一七二二年)に生まれ八十四歳で没している。丹甫は、高岡工芸漆器の元祖といわれ、明和年間(一七六四年〜七一年)頃に京都で修業して帰高し、擬堆黒(朱)、存星など唐風の漆器技法を伝えたというが、経歴についての確かな記録はない。

 京都は京漆器といわれる蒔絵物や茶道用漆器の名品が多く作られ、工匠もかなりいたようだが堆朱物は少なかったようだ。しかし、明治初年に黒川真頼が発刊した「工芸志料」には享保の頃、京都に堆朱をなす工人も相当いたと記されており、丹甫はこの工人たちの流れを汲むと思われる。現在、丹甫作といわれている作品は、漆を何回も塗り重ねて彫った堆朱・堆黒ではなく、木地を直に唐堆朱風に彫って下塗りした後に、黒あるいは朱漆を塗り、乾燥後に灰墨様の古味を入れて仕上げられている。もうひとつは、型紙・型材を使って漆錆型抜きの技法で薄肉模様を表現して、これを前述と同様の工程で仕上げた擬堆黒や擬堆朱である。

 以来、高岡では「丹甫塗」という名称で唐風の漆器技法が行われた。現在でも高岡御車山(通町の高欄や硯屏、木舟町の大黒天、唐子、高欄、硯屏など)で見ることができる。

 丹甫塗に似た木彫堆朱・擬堆朱は、新潟県の村上木彫堆朱や香川県の玉楮象谷などに見られる。なかでも村上木彫堆朱は、古くからの伝統がそのまま受け継がれ、現在では丹甫に最も近い仕事をしているといえる。一方、現在の京都漆器にはこのような技術は残っていない。丹甫塗の技術は砺波屋桃造(文化、文政頃の人)、伊勢領屋桃二(天保頃の人)や仏師などによって伝承されたようで、このような土壌が明治後期の彫刻漆器の萠生えに大きく影響したと思われる。

 また、丹甫は漆技に巧みなだけではなく、詩文にも長じた人物であった。富田徳風が文化四 年(一八〇七年)に著した「修三堂湯話」に辻丹楓なる人の記事が見える。津島北渓が安政六年(一八五九年)頃に著した「高岡詩話」にも砺波屋伊右衛門丹楓のことを挙げ、「世間では漆彫に巧みなことばかり伝えているが、詩文に長じたことを知らぬのは惜しい。今道集は丹楓の遺草である」と書いている。両書の著者の年齢は丹楓とそう変わらず、富田徳風も安永七年(一七七八年)に生まれ、しばらくは同じ時代を歩んだことからも、この記事は信用してよいだろう。

 このように辻丹楓は漆芸の名手であり、また和漢の学を身につけたなかなかの文化人であった。そこで辻丹甫と辻丹楓であるが、これまで前者は高岡の人、後者は京都の人、としてまったく別人として伝えられてきたが、時代も業績も名前も同じく、ただ「甫」と「楓」と相似た音で一字違うだけであることから同一人物に違いない。そして砺波屋の屋号が示す通り、砺波郡辻村の出身者で高岡の御馬出町に住んだと伝えられている。

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