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夏目漱石の「虞美人草」 ―漱石にも愛された高岡錆絵―

勇助塗硯箱
◆ 勇助塗硯箱 ◆

 屏風の陰に用い慣れた寄せ木の小机を置く。高岡塗りの蒔絵の硯箱は書物と共に違い棚に移した。机の上には………中略
 違い棚の高岡塗りは沈んだ小豆色に古木の幹を青く盛り上げて、寒紅梅の数点を螺鈿擬いに練り出した。裏は黒地に鴬が一羽飛んでいる。並ぶ蘆雁の高蒔絵の中には昨日まで深き光を暗き底に放つ柘榴珠が収められてあった。両蓋に隙間なく七子を盛る金側時計が収めてあった。高蒔絵の上には一巻の書物が載せてある。四隅を金に断ち切った箔の小口だけが鮮やかに見える。間から紫の栞の房が長く垂れている。栞を差し込んだページの上から七行目に「エジプトの御代しろし召す人の最後ぞ、かくありてこそ」の一句がある。色鉛筆で細い筋を入れてある。
 すべてが美しい。美しいもののなかに横たわる人の顔も美しい。驕る目は長えに閉じた。驕る目を眠った藤尾の眉は、額は、黒髪は、天女のごとく美しい。

夏目漱石「虞美人草」より
 小説に出てきた高岡漆器は蒔絵の硯箱とあるが、これは多分、錆絵の硯箱であろうと思われる。「高岡塗りは沈んだ小豆色」とあるのは、漆の世界でいう「うるみ色」であり、勇助系が好んで用いた基本形である。「古木の幹を青く盛り上げて」は、錆の筆勢とその上に彩色された色漆や銀粉の練り込みによるもので、「寒紅梅を螺鈿擬いに練り出した」とは、紅梅の形に作った青貝、あるいは珊瑚などを埋め込んだものであろうか。ともあれ、この仕事はまさに高岡錆絵であり、勇助塗である。

 この小説が朝日新聞に連載されたのは明治四十年のことである。当時、漱石の目にとまる仕事をした工人は誰であろうか。

 明治十年頃に二代石井勇助、三村松斎、駒栄善助が県の補助を得て先進地を視察。また明治三十年頃に二代三村卯右衛門は横浜コウラン社に勤めて腕を磨いている。信越線の開通が大正二年であるから、小説の硯箱は販売ルートが確立される前のものであろう。このような背景から考察すると、この硯箱は、自分の作品を自信をもって発表してきた勇助系、または三村系の作であることは技法からも論をまたない。推測すれば箱の蓋裏に「黒地に鴬が一匹飛んでいる」とある風情から三村系の錆絵ともみられないだろうか。

 ともあれ、文中にある高岡塗りの硯箱、柘榴珠、七子の金側時計、それに木口に金箔を貼った一巻の書物がこの部屋を飾っている。いずれも華麗とか美麗という形容よりも、しっとりと落ち着いた雰囲気が想像できる。高岡の得意とする錆絵の技法が漱石の幽玄の中に生きている。

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